ビッチマグネット / 舞城王太郎

ビッチマグネット

ビッチマグネット


読了してからそんなに経ってないはずなのに、もう内容がおぼろげだわ。
とりあえず、付箋したところだけでもメモ。



 

 「……私、お父さんとまた暮らしたいかなあ……?」
 「はあ?俺らが暮らしたいかどうかじゃないよ。暮らすべきだって話だよ」
 「だって出て行きたい人を無理矢理閉じ込めたり……」
 「あのさあ、俺らってこの家に住みたいからこの家に住んでるんじゃないしお互いのことが好きだから家族になった訳じゃないでしょ?家族とか家って、そういう気持ちとか選択の自由とかは関係ないんだと思うけど、違うかな?」
 「さあ……判んない」
 「違わないと思う」と友徳ははっきり言う。「家族ってのは形だから、ちゃんとそれらしくしてるべきなんだと思う」(p.22)

 率直な語り口は、必ずしも正しいの?
 上手く自分の気持ちを言えないことは、変えなきゃいけない性格とかなの?
 思ってること言いたくないっていうのは間違ってるの?
 私の言葉は私の身体の中から逃げ出してしまった。肋骨の間からしゅうっと背中の肉を抜けて……。
 誰かの率直な、本心を剥き出しにした話は私を怯えさせる。
 きっとそういう反応が起こるのって私だけじゃないだろうから、思うに、この世のある部分の人たちは、誰かの本当の気持ちをそのまま話されることに耐えられないのだ。自分たちの本当の気持ちも言葉にすることができないし、そうしようとも思わないものなのだ。
 ひょっとしたらそういう人の一部が物語を創るんだろう。そういう人たちのために、物語は創られるんだろう。
 架空の物語っていうのは、本当のことを伝えるために嘘をつくことなのだ。(p.25-26)

 でも親の片方が浮気して出て行っちゃうなんて世間的にはありふれてるだろうに……とまた思うけど、世間一般のことと私たち家族のことは別物なのだ。それに私の思う《世間一般》が私のこしらえた物語ってこともありえるし……そうだ、それは十分にありえる。何しろ私はまだ十九歳。世間も世界も社会も人間もほとんどをボンヤリとした想像と何となくの知識で作り上げているのだ。
 それでも何とかやっていかなきゃいけない。(p.80)

「つかだから、お父さんってもう中学生のときのお父さんのまんまで、私の中では止まってるって言うか、終わってるんです。もし私の中でお父さんが続いていたら、時間も経って、向こうの愛人の人と結婚してたら佐々木さんですけど、佐々木さんって呼んでたかもしれません。でもお父さんは六年前のお父さんのまんまだから……て言うか他の、自分の父親に捨てられた子供はどう呼ぶんですか?その父親のこと」(p.85)


「もし私の中でお父さんが続いていたら」っておもしろいなぁ。言葉的に。