映画「ノルウェイの森」に関する引用メモ

松山さんがいちばん印象に残っているシーンについて:
「(このシーンは)直子とワタナベっていうのが自分の問題にちゃんと向き合うというか初めて話し合うシーンなんですね。ワタナベは直子のことを愛してるんですけども、同じリズムで歩けないんですよ。直子はワタナベのことを見てくれないし。ワタナベっていつまで経っても直子のリズムをつかめてなくて、いつもなんかただ一緒にいるっていうことしかできてないですね」


直子(菊池凛子)のキャラクター設定については賛否両論があるでしょう。
直子は「ふつうの女の子」がしだいに「狂ってゆく」、『キャッチャー』におけるホールデン少年的な「不可避的に転がり落ちる」危うさが魅力なんです。そのためには「ふつうの女の子」としての清楚な優等生的な魅力がきちんと描かれていないといけない。そうしないと、「転落してゆく怖さ」が出ない。でも、映画では二人の長い東京散歩とかみ合わない会話のところをさらっと流して、すぐに誕生日の、直子が最初に精神的に崩れる場面に入ってしまいます。


限定された時間内でこの物語を映画化すると、「次から次へと登場人物が死んで、そうこうしている間にも女性たちは主人公のエネルギーを吸いつくさんとばかりに性行為を求めてくる映画」になります。その通りなのですが、登場人物たちがそれぞれに暗い過去を抱えていることも同じく重要です。弱者には弱者なりの必然があり、死者には死を選択するにいたった止むを得ない事情がある。性行為はただの性行為ではなく、生者と死者を取り結ぶ儀式でもあり、主人公は生の世界と死の世界を往復する「行きてし帰り物語」を進める役割を担っています。たとえば登場人物のひとりである直子は、主人公との性行為をきっかけにして死の世界への扉を開き、あちら側へ向かってしまいます(レイコとの性行為は逆に、彼女を死の世界から帰還させるための儀式にも見えます)。