佐野元春のザ・ソングライターズ 桜井和寿①

ポップソングは時代の表現であり
時代を超えたポエトリー
佐野元春

 佐野元春が聞き手となって、ソングライターをゲストに招き、音楽における“言葉”をテーマに、講義形式で対談を行なう番組「佐野元春のザ・ソングライターズ」(公式サイトより)。


 放送期間(3ヶ月間)内に6人のゲストと対談されるそうです。1人目のゲストはMr.Children桜井和寿さん。わたしは桜井さんの作る音楽の熱心なリスナーではありませんが、ミスチルの曲のなかには何曲か好きな曲があり、歌番組で桜井さん歌っているところを見るとものすごく惹きこまれることがあります。というレベルのリスナーなのですが、対談で語られていたことはとても興味深かったです。


 特に印象に残ったことをメモ。


 佐野さんが以前スガシカオと対談したときのスガシカオの発言「たぶん罪の意識がない人はいないし、そういう人はソングライターにあまり向かないと思う」を佐野さんから聞いた後、桜井さんがはにかみ、少し間を置いて語り始めたこと:

 「僕はなんかね、もうちょっと、その、音楽を通じて、それから歌・言葉を通じて、個人であることを通り越したいような気がする。だから、僕がコンプレックスを抱いてるとか、好きな子がいるとか、僕がどういう人格、とか、そういうことを通り越して、音楽や言葉が人と人と結び付けたいという思いがすごく強いんだと思う」


 「だから最近は、すごく、自分がこうしたいとか、こんなことを思ってると言うようなことを詞にするのがすごく抵抗があって、音楽に向き合うときはできるだけ自分を、もうまっさらな何も考えない状態にして、その音と向き合わせるときに、自分の中の何かを引き出してくれて、その引き出た何かがリスナーの何かと結びついて、ともに共鳴するというか、そんなことをいつも目指してるんだと思います」

 音楽を通じて個人であることを通り越したい。これは名言なのではないでしょうか。と同時に、フジファブリック志村正彦氏が『音楽とことば〜あの人はどうやって歌詞を書いているのか〜』のなかで「桜井さんの器の大きさ」について語っていたことを思いだしました。深く納得。