F・A・M・I・L・Y


「家族を大事にしてね」


と言われるときにふつふつと湧き上がってくる気持ちをどう説明したらいいだろう。
相手はたぶんシンプルな気持ちでそう言っているのに、受けとめるこちらはなぜだか複雑な気持ち。
たぶんちょっとだけ反抗的な気持ちになっている。なぜだろうか。


「家族」という言葉が自分の中でうまく着地していかない、のだと思う。


「お母さんを大事にしてね」や、
「お父さんを大事にしてね」だったら、
素直に「うん」と言えるのかもしれない。


恐らく、「家族」に苦しんできた人たちにとって、「家族」という言葉はとても重いものなんだと思う。
わたし自身は「家族」に苦しんできたわけではないが、わたしの家族は「家族」に悩まされてきた。
そのことをわたしは少しだけ知っている。


……ああ、書きたいけれど言葉にしてはいけない思いのたくさんあること!


ところで、「大事にする」ということと「大事に思うこと」とは似ているようで全然ちがうのですね。
大事に思っているだけでは相手に何も伝わらず、大事にしていることにならない。
「大事にする」ということは、形にあらわすこと・行動にうつすということだ。


だから極端な話、大事に思っていなくても大事にすることは可能なのだろう。
煮えきらない状況のなか、気持ちがNOと言っていても、
ふと手を差しのべてしまうことだってあるかもしれない。
あっていいと思う。


         


更新されていたダカフェ日記(http://dacafe.petit.cc/)を見る。
日曜日的な光景の数々は、やはり日曜日に見るのがふさわしい。


これを見るとき「家族っていいな」って、がらにもなく思うのだ。